マイケルとオレ


ただ通り過ぎるだけの僕らは
最後の「ありがとう」に向かって
風のように清々しく

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このブログを始めたのが、昨年の何日だったのか正確には思い出せない。
ただ、6月の後半だった記憶があるので、もう1年は経った。

前回の更新の時には既にマイケル・ジャクソンは他界していた。

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オレの年齢だと、最初の出会いはジャクソン5で、マイケル・ジャクソンは誰もが知っている「子供スター」だった。
その後「オフ・ザ・ウォール」が出た時に、「子供」というイメージが取り去られた。
オレはこの「オフ・ザ・ウォール」が一番好きで、当時は皆がそうだっただろうが、このアルバムの曲でよく踊った(!)。

そして、彼の全盛期とオレの20代が始まった。

「スリラー」は持っていたけれど、自分のレコードを聴く必要がないくらい売れていたので、実際、アルバムをじっくり聴いてはいない。
彼はその後、音楽も見かけも有色じゃなくなっていった。

20代の後半から来日アーティストの制作通訳をやっていたオレは、「バッド」と「デンジャラス」の来日公演に携わっていたので、彼とは直接言葉を交わしてはいないものの、ステージへの出入りの際、彼を近くで見ることができた。
初めて彼のショーを観た時、なぜ彼がスーパー・スターなのかがすぐにわかった。
どの瞬間にでも、どの角度からでも彼はスターだった。

92年の「デンジャラス」ツアーでの仕事は、ツアー通訳の仕事を辞めることが決まっていたオレにとって、最後の来日アーティストの仕事だったのだが、会社で請けていた次の仕事の準備で「年末にロスアンゼルス一泊の出張」というのが控えていて、最初の準備のみの参加だった。
その「次の仕事」というのは、オレにとって最初で最後の国内アーティストのツアーで、アメリカ人コーラスの通訳としての仕事だった。
それまで国内アーティストのコンサートというのは(ジャズやフュージョンを除いては)馴染みが無く、それこそ小学生の時に地元の体育館で行われた古井戸のコンサート以来で(この時、その後RCサクセションのメンバーとなる仲井戸麗市さんと握手をした!)、しかも通訳としての最後の仕事ということもあって新鮮な気持ちでの参加だった。

そのツアーは素晴らしく、オレにとっての「国内アーティスト」の印象を変える大きな機会になった。
アーティストの名前は佐野元春。名古屋の中華料理店での打ち上げで、「同行した通訳」として少しだけ話をしたことをよく覚えている。

その年の夏、歌手としての所属事務所が決まり、秋に長女が生まれた。

マイケル・ジャクソンの死に関しては、「もったいない」「残念」という気持ちと共に、あまりにもポピュラーになりすぎて、まるでミッキーのように遠い、オレにとっては薄い存在になってしまった後なので、同じ時代を生き、楽しませてもらった者の正直な気持ちとして、少しだけホッとしながら「ありがとう」だろう。
マイケルもきっと最後に「ありがとう」と応えるだろう。




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